創業者の歩み

ブリヂストンの基盤を創りあげた創業者 石橋正二郎はどのような人だったのでしょうか? 私たちブリヂストングループの全員に受け継がれる「ブリヂストンらしさ」の源は創業者の人柄や考え方などにあるはずです。このコンテンツでは、創業者 石橋正二郎のエピソードを連載で紹介していきます。

Vol.3 絵画収集のはじまり3

Vol.3 絵画収集のはじまり3

 久留米高等小学校時代、正二郎には大きな出会いがありました。その相手は、のちに文化勲章を授与される画壇の巨匠・坂本繁二郎です。

 坂本は18歳の頃、正二郎の小学校で図画の教員をしていました。教員とはいえ、正二郎と7つしか年が違わず、背も低かった坂本のことを、生徒たちは「繁ちゃん」と愛称で呼んでいたといいます。坂本は教員を経て39歳でフランスに留学、42歳で帰国します。その後偶然にも正二郎一家も坂本が住む町へ転居したため、ここで約30年ぶりに交流が再開しました。

ある日、坂本は正二郎にこう語ります。「青木繁は、わが国の生んだ希少な天才画家だ。多くの傑作を残しているが、散逸*したままでは惜しい。買い集めて、小さい美術館でもよいから建ててもらえないだろうか」。

 青木は、坂本の学生時代からの友人で、若くして『海の幸』など名作を発表した洋画家でした。父親の死後、生活が困窮し、各地を放浪したうえ満28歳の若さで亡くなった青木の作品を、坂本はずっと気にかけていたのです。もともと絵画を愛していた正二郎は、坂本の亡き友の作品を心配する温かい友情に心を動かされ、早速その収集に取りかかりました。

 一枚の絵を入手するのに何年もの歳月を費やすこともありましたが、正二郎は決して妥協せずに、青木の代表的な作品を一通り揃えて、坂本の希望を叶えます。坂本との出会いは、世界的にも名高い石橋コレクションを生む母胎となったのです。

*散逸:収集物などが、ばらばらになって行方がわからなくなること

*本文中は敬称略

参考文献:「私の歩み」(石橋正二郎著)
「石橋正二郎」(小島直記著・ブリヂストンタイヤ(株)刊)


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