創業者の歩み

ブリヂストンの基盤を創りあげた創業者 石橋正二郎はどのような人だったのでしょうか? 私たちブリヂストングループの全員に受け継がれる「ブリヂストンらしさ」の源は創業者の人柄や考え方などにあるはずです。このコンテンツでは、創業者 石橋正二郎のエピソードを連載で紹介していきます。

Vol.6 兄重太郎と正二郎

 正二郎と3つ年上の重太郎(後に、父の名前である徳次郎を襲名)は、性格や行動が非常に対照的な兄弟でした。子供の頃こそ体が弱かったものの、勉強が得意で頭脳明晰な正二郎に対し、生まれつきのスポーツマンで、元気に外を駆け回るのが好きな重太郎。重太郎の活発ぶりは、「筑後川で洪水があったとき、私に着物の番をさせて、1000メートルの濁流を乗り切ったこともある」と正二郎が逸話を語るほどです。

 自分にないものを持ち合わせる重太郎は、正二郎にとって、自分の人生に対する刺激や多様な価値観を与えてくれる存在だったのかもしれません。これだけ個性が異なる2人ですから、家業である仕立物屋「志まや」を継ぐ時、父から「重太郎は外まわり、正二郎は内の仕事をやるように」と命じられたのも、当然の流れだったのでしょう。

 2人の関係を象徴する出来事が、足袋の宣伝に関するエピソードです。志まやを、シャツ、ズボン下、脚絆・足袋をつくる仕立物屋から足袋専業とした正二郎は、東京で初めて自動車に乗った時、「これを使って足袋を宣伝しよう」と考えました。この正二郎のアイデアに大賛成し、自動車を使い九州全土で宣伝活動を行ったのが重太郎でした。重太郎は、自宅に自動車がやって来ると、すぐに運転方法を身につけ、福岡県で第一号となる免許証を取得。「志まやたび」の幕と造花で車体を飾り、九州全土を奔走しました。これが大きな評判を集め、安い広告費で大きな効果を得たのです。冷静に物事を考え抜く正二郎の判断力と、ひとたび物事が決まったら積極果敢に行動する重太郎の実行力が、成功を呼び込みました。

 異なるタイプの兄弟が、互いの持ち味を発揮して力を合わせながら日々の仕事に全力で立ち向かう──。2人の理想的な関係が、その後の事業発展へ導く大きな礎となっているのです。

Vol.6 兄重太郎と正二郎

*本文中は敬称略

参考文献:「私の歩み」(石橋正二郎著)
「石橋正二郎」(小島直記著・ブリヂストンタイヤ(株)刊)


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