創業者の歩み

ブリヂストンの基盤を創りあげた創業者 石橋正二郎はどのような人だったのでしょうか? 私たちブリヂストングループの全員に受け継がれる「ブリヂストンらしさ」の源は創業者の人柄や考え方などにあるはずです。このコンテンツでは、創業者 石橋正二郎のエピソードを連載で紹介していきます。

Vol.7 進学か事業か

Vol.7 進学か事業か

 久留米商業学校在学中、正二郎は、神戸高商(現・神戸大学)に進学したいとの志を持っていました。小学校、高等小学校と抜群の成績を収め、久留米商業学校には最年少で合格。これだけ傑出した成績を残していた正二郎は、より高いレベルで学問を究めたいと考えました。実家の仕立物屋は、「3つ年上の兄・重太郎がいるから、自分が進学しても問題ない」と考えていました。ところが、父・徳次郎からは、「重太郎一人では心細いからあきらめてくれ」との答え。久留米商業学校の太田校長にも助けを借りて必死に粘った正二郎でしたが、結局、進学を断念することとなりました。

 ただ、ここで進学への未練はキッパリと断ち切り、事業に全精力を傾けたところに、正二郎の真骨頂が表れています。学校を卒業し17歳で家業を継ぐと、「一生をかけて実業をやると決心した以上、何としても全国的に発展するような事業で、世のためにもなることをしたい」と決意。父から受け継いだ「志まや」の改革に次々と着手します。

 まずは、仕立物屋から足袋専業へと事業を絞り込みました。また、それまで無給だった徒弟に対しては給料を払い、労働時間も短縮する合理化を断行。さらに、足袋のサイズに応じて異なっていた価格を均一にすることで大きく売り上げを伸ばしました。

 朝早くから夜遅くまで必死に働き、しかも、資金が常に不足する苦しい状況。しかし、「若いときの苦労は買ってでもせよ」という父の教えや「艱難汝を玉にす」という言葉を励みに、全力で事業に取り組みました。

 希望通りに進まない人生を恨むことなく、高い志で懸命に仕事に励んだ結果、一流会社と肩を並べる基礎を作り上げた正二郎。「私はこうした苦労によって練磨され、また人情の機微を知り、商売の実地を学ぶことができた。進学の希望はかなわなかったが、それは決して不運ではなかった」と後に回顧しています。

*艱難汝を玉にす:人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物になるということ

*本文中は敬称略

参考文献:「私の歩み」(石橋正二郎著)
「石橋正二郎」(小島直記著・ブリヂストンタイヤ(株)刊)


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