創業者の歩み

ブリヂストンの基盤を創りあげた創業者 石橋正二郎はどのような人だったのでしょうか? 私たちブリヂストングループの全員に受け継がれる「ブリヂストンらしさ」の源は創業者の人柄や考え方などにあるはずです。このコンテンツでは、創業者 石橋正二郎のエピソードを連載で紹介していきます。

Vol.11 世の人々の楽しみと幸福のために

 正二郎が建設して久留米市に寄付した石橋文化センターの正面入口石壁には、正二郎の筆跡で「世の人々の楽しみと幸福の為に」という言葉が刻み込まれています。これは、正二郎が生涯念頭から離さなかった人生観を象徴する言葉です。

 1928年、正二郎は久留米市のために九州医学専門学校(現在の久留米大学)用の土地・建物を寄贈しました。当時、久留米には教育関係では見るべきものが少なく、久留米の将来のためにしっかりした学府を確立することが望ましいと考えたのです。

 正二郎は常に郷土としての久留米、事業の本拠地としての久留米を大切に考え、その文化、教育、福祉の向上のために寄付を惜しみませんでした。特に事業と地域社会との関係の重要性を早くから認識し、両者の円満で密接な関係、理解と信頼に役立つ関係の確立に努めてきました。

 石橋文化センターは、1956年4月に開園しました。空襲で大部分が焼野原となった久留米市は、戦後、多くの人々が*バラック住まいで生活に追われ、繁盛しているのは不健全な娯楽だけという状況。青少年の思想に及ぼす影響を正二郎が非常に心配したのが、同センター建設の発端でした。市民の健康で明るい文化生活向上のため、「世の人々の楽しみと幸福のため」という考えを終生念頭から離すことなく、正二郎はその後も同センターの施設の充実を図るなど、人々の役に立つことを次々に実現していきました。

 同年4月にはわが国の美術、教育などの文化振興発展に本格的に寄与したいという志から、石橋財団を設立しました。正二郎はゴム事業と並ぶ大切な事業として責任感と誇りを持ち、石橋財団の運営に心を砕きました。郷土だけでなく、日本の文化、教育の振興、向上に尽くした業績は決して小さくありません。

Vol.11 世の人々の楽しみと幸福のために

*バラック:粗造の仮小屋

*本文中は敬称略

参考文献:「私の歩み」(石橋正二郎著)
「石橋正二郎」(小島直記著・ブリヂストンタイヤ(株)刊)


1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

11

ページトップへ戻る