創業者の言葉

ブリヂストンの基盤を創りあげた創業者 石橋正二郎氏はどのような人だったのでしょうか? 私たちブリヂストングループの全員に受け継がれる「ブリヂストンらしさ」の源は創業者の人柄や考え方などにあるはずです。このコンテンツでは、創業者 石橋正二郎氏のエピソードをご紹介します。

創業者言葉

1971年1月から12回にわたってブリヂストンの社内報である「BSニュース」表紙裏に掲載された言葉を紹介します。

( せい ) ( しょう ) ( けい ) ( )

昭和八年三月、私は東郷元帥を東京麹町にお訪ねした。八十六歳の元帥は一介(いっかい)の青年実業家たる私を快く迎えられ、同伴の長男には、父のあとをつぎ立派な事業をするようにと懇(ねんご)ろに話された。
日本海海戦のとき、私は十六歳の少年だったが、郷里久留米に在って遠雷(えんらい)のような砲声を聞いているだけに、この護国(ごこく)の聖将に見(まみ)えた感激は大きく、その静かな口調、謙虚な態度、端正な服装は今も髣髴(ほうふつ)として目前に浮かんでくる。
私の終生忘れ得ぬ感銘である。

( おん ) ( ) ( ) ( しん )

戦後の若い人達は、伝統を軽蔑して国の正しい歴史を知ろうとせず、祖国と祖先に対する関心も薄い。したがって愛国心も稀薄となっている。こういう人達が日本を背負って立つと思えば寒心(かんしん)に堪えぬものがある。
進歩は伝統をふまえてはじめて可能となる。民族の興亡、盛衰を知ることは即現代に生きる道に直結する。歴史に学ぶ心は、いつの世にも後進の責務というべきであろう。

自彊 ( じきょう ) 不息 ( やまず )

創業四十年を記念して創業者の言葉を、という編集担当者の要望で、年頭以来、BSニュースの巻頭を埋めてきた。最後に掲題の一項を加えよう。
自(みずか)らを律することは最も難かしい。
しかし、己れを慎しみ、謙虚に勉め励むことは人たるの第一義と思う。
皆さんの健闘を祈って筆を擱(お)く。

( ほう ) ( より ) ( しん ) ( せつ )

終戦直後、京橋の本社焼跡にバラックの露店が十数軒も無断でできてしまった。顧問弁護士は、今のうちに手を打たねば大変なことになるという。このとき亡妻は、私が話してみましょうと言って、「皆さんは罹災(りさい)されてお気毒ですから、ここで商売をしてウンと儲(もう)け、移転先を見つけて、ビルを建てるときには立ち退いて下さい」と真心をこめ、見舞品を持って露店を廻った。
この思いやりが通じ、五〇年八月、ブリヂストンビル着工のときは、誰一人文句なく、感謝のうちに立ち退いて行った。いまに忘れ得ぬことである。

自信 ( じしんと ) 自惚 ( うぬぼれ )

何事にも自信をもって当たることが肝要である。しかし、反省を欠くときは、自分では自信と思いながらも、いつしかそれが過信となり、自惚れに陥りかねない。自惚れは自信と似て非なるものである。自信はあくまでも正しい自己評価、厳しい自己批判をふまえたものであることを知らねばならぬ。

( りょく ) ( いん ) ( かん ) ( あり )

今夏も例によって暑中を軽井沢で過ごした。この山幸荘のモミソ、モミヂ、楡(にれ)、白樺は植樹以来三十年の年輪を経て見事な大木となり、苔蒸(こけむ)す緑陰は渓流のせせらぎ野鳥の囀(さえず)りと相俟(あいま)って私のこよなき憩いの場となった。
思えば終戦の玉音(ぎょくおん)放送はここで鳩山一郎さんと共に謹聴した。あれから二十六年、祖国は再建され今日の経済発展を見るに至ったけれども、崩壊した民族心、愛国心の復興は果たして如何(いかん)。世情の変転、歴史の流れを思い、感慨(かんがい)禁じ得ぬものがある。

( ぶっ ) ( しん ) ( いち ) ( にょ )

精神と物質は本来不可分の関係にあり、これは木の根と幹にも譬(たと)えられよう。戦前は精神面を尊重、物質面は極度に軽視されたが、戦後はこの反動もあって何事にも経済面が優先し、精神面が聊(いささ)かお留守(るす)になってはいまいか。根と幹の均衡(きんこう)なくして良木のないように、物心両者の調和を欠くところ、人間社会の幸福は期待できない。

( らく ) ( ざん ) ( あい ) ( すい )

私はこれまで造園を趣味としてきた。しかし庭造りの技法に格別詳しいわけではない。
ただ、美しい自然の景観に接すると身心が浄(きよ)められるように感ずるので、限られたなかに樹を植え、石を蒐(あつ)め、土を盛り、水を引いて自然の姿をここにあらわし、これが年と共に趣の生ずるのを楽しみにしている。
古語に、知者は水を楽しむ、とあるが、石橋文化センター内に建造中の日本庭園もこの程完成し、その池畔の建物に楽水亭と名づけた。これは私の最近の喜びである。

( じゅく ) ( りょ ) ( だん ) ( こう )

私は実業に携わって六十五年、足袋専業、地下足袋創製、自動車タイヤ国産、合成ゴム開発、LPG開拓、と絶えず新しい事業を手がけてきた。幸い事業は繁栄をみるに至ったが、これには決断がいかに重要かを痛感する。
人は必ずその生涯に、進退、左右、得喪(とくそう)を決する二者択一(たくいつ)の岐路に遭遇する。このとき、よく事の本末、緩急を勘案し熟慮断行することが大切で、妄動或いは逡巡して機を逸し、断を誤ってはならぬ。

( げん ) ( こう ) ( いっ ) ( )

私は今日までのことを昨年、回想記として綴り、皆さんに配布した。
この体験から言えることは、何事も世のため、人のためということを忘れてはならぬということで、これなくては人から信頼されない。従って何事も成り立たぬ。信用は無形の財産で万事の基をなす。
言葉は拙くとも言ったことを必ず守れば、人から信用される。言行一致が最も大切で、人生行路の間違いのない指標であると思う。

( せん ) ( ) ( ばん ) ( こう )

色とりどりの花が咲き揃い、撩乱(りょうらん)たるありさまは実に平和で明るい。それは巧(たく)まずしてなれる自然の姿であり、神の摂理が感じられる。世の中も、人それぞれが分を尽し処をうるならば理想的といえよう。私はこの言葉が好きで、昨今揮毫(きごう)を求められてこれを筆にすることが多い。

( ) ( して ) ( どう ) ( ぜず )

私は商業学校時代、クラスの殆んどが参加したストライキにも加わらなかった。十七才で家業の仕立物屋を継いだが、これを独断で足袋(たび)専業に改め、このことで父から大変叱られた。タイヤ事業化のときも、反対者は多かったが私の決意は変わらなかった。
終戦直前のこと、軍から敵の九州上陸に備えて、久留米工場を本土に疎開するよう要求された。私はこれを拒絶し、このために生産責任者を退(や)めねばならなかった。
協調は必要であるが、雷同(らいどう)して自主性を失うことは禁物である。

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