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【師匠と弟子】出会いから22年。 立場が変わっても変わらない想いー(株)ブリヂストン久留米工場・鳥栖工場

師匠と弟子

今回の「師匠と弟子」では、約20年前に久留米工場で出会い、相方として二人三脚で歩んできた権藤さんと髙田さんに登場いただきます。2人は、髙田さんが2004年に入社してから鳥栖工場に異動する2011年まで、久留米工場の押出工程でペアを組むことが多かったそうです。現在は職長代行と生産リーダーとして、互いにそれぞれの工場でチームを引っ張る存在に。当時を振り返っていただきながら、久々の再会を楽しむ様子をお届けします!

職長代行になり、毎日新しいことの連続。人との接し方など改めて気づくことがたくさんある

師匠

(株)ブリヂストン
久留米工場 製造1課 押出・才断・ビード係
職長代行

権藤 賢常さん(1999年入社)

相手の第一印象 考えが若い!
相手に直してほしいところ ありません
相手の尊敬するところ 考え方が柔軟で、思ったことははっきりと意見を言うところ
相手を動物に例えると ロバ(のんびりしている)
相手に望むこと いつかまた一緒に仕事ができればいいな・・・
権頭さんから学んだ「現場のいろは」を今は僕が後輩に教える立場に

弟子

(株)ブリヂストン
鳥栖工場 製造第2課 第1成形係
生産リーダー

髙田 大輔さん(2004年入社)

相手の第一印象 話しかけにくい先輩・背が高い
相手に直してほしいところ 特にありません
相手の尊敬するところ 冷静沈着なところ
相手を動物に例えると ライオン(寡黙だがリーダーシップがあり、みんなから頼られている存在)
相手に望むこと 工場は違っても連休時など飲みに連れて行ってほしいです!
考えが若い! 相手の第一印象 話しかけにくい先輩・背が高い
ありません 相手に直してほしいところ 特にありません
考え方が柔軟で、思ったことははっきりと意見を言うところ 相手の尊敬するところ 冷静沈着なところ
ロバ(のんびりしている) 相手を動物に例えると ライオン(寡黙だがリーダーシップがあり、みんなから頼られている存在)
いつかまた一緒に仕事ができればいいな・・・ 相手に望むこと 工場は違っても連休時など飲みに連れて行ってほしいです!
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権藤さん、「令和6年度 久留米商工会議所 ゴム製造部会」表彰での「エフォート賞」受賞、おめでとうございます!権藤さんの活躍を知ることができてうれしいです!

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ありがとう。漠然と「すごい賞に推薦されたんだ」と思ったんだけど、目立つのがあまり得意じゃないから。恥ずかしかったし、表彰式はすごく緊張して……。今回の取材もすごく緊張しているんだけど、気心知れた髙田君に来てもらえてうれしいよ。

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権藤さんはクールで寡黙な方ですからね。緊張している姿が想像できます(笑)。最後に仕事でご一緒してから10年以上経ちましたが、弟子として呼んでもらえて光栄です!権藤さんは私の入社前から押出工程一筋、誰もが認めるスペシャリストですよね。

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髙田君が鳥栖工場に異動してから10年以上も経つのか。入社してから鳥栖工場に異動するまで、久留米工場の押出工程で7年間、ペアを組むことが多かったね。

押出工程でペアの関係として、7年間久留米工場で一緒に働いた権藤さんと髙田さん。「若手の中でも一番仕事ができる先輩で、ペアを組んだときは常にやりやすかった」と髙田さんが話すと、権藤さんは少し照れていた

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入社当初は分からないことばかりで目の前の仕事に必死でした。でも分からないことは、すぐに権藤さんに聞くようにしていましたし、その都度丁寧に教えていただきました。一見クールで話しかけにくい雰囲気の権藤さんですが、面倒見の良い先輩で、実はすごく優しくて、何かあればみんなが権藤さんを頼っていましたよね。そして、個人的にはよく飲みに行くなど可愛がっていただきました。

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こんな性格だから、話しかけてくれる人も多くなくて、入社当初から積極的に話しかけてくれてうれしかったのをよく覚えているよ。当時は機械も古くてトラブルも頻繁にあったけど、ペアとして何度も乗り切ったね。髙田君はコミュニケーション能力が高くて、分からないことは積極的に質問していたし、報告・連絡・相談をしっかりしていた。当時は「技術は見て盗む」ことが多い時代だったからこそ、どんどん質問して、技術を自分のものにしていく髙田君が頼もしかったよ。でも当時はチャラい見た目だったから、真面目な性格とのギャップも感じていたかな。(笑)

当時の押出工程で作業していた頃を懐かしむ2人。「いつかまた一緒に仕事ができるといいね」と権藤さん

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当時はそんな見た目だったから、性格もヤンチャだと思われていたんだろうなと(笑)。なので2011年に鳥栖工場に異動した際も、周りから心配されているんだろうなと感じていました。鳥栖工場の押出工程に異動して、その後半年ですぐに現在の成型工程に異動することになって。知っている仲間もいない環境の中で経験のない業務を担当することになり、本当に苦労しました。

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押出工程と成型工程はやることも全く違うから大変だよね。でも、分からないことでも積極的に周りに聞いて、自分のものにしていく。そんな髙田君だからこそ、大変な時期を乗り越えられたんだろうね。その後たった3年で班のリーダーになったことも人づてに聞いていたよ。まさか3年でリーダーになるとは思っていなかったから、自分のことのようにうれしかったんだ。

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相手との関係性などをあまり気にしたりせず、何でも質問する性格なので、周りのメンバーからどんどん吸収して、とにかくがむしゃらに頑張っていました。
今では、成型工程の生産リーダーを務めていますが、当時権藤さんから頂いた、冷静な判断に基づく的確な指示や、何でも相談に乗ってくれる面倒見の良さなどを参考に、後輩の育成に努めています。今の私があるのは、入社当時に権藤さんから教わったおかげです。権藤さんは職長代行になられたんですよね。

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6年前に才断・ビード係が押出係と合併したり、今年の4月に職長代行になったり、ここ最近で大きな変化があったんだ。全く経験のなかった分野で、周りの皆さんに教えていただきながら何とかやっているけど、職長代行は特に大変で、毎日新しいことの連続。班のまとめ方や人との接し方など、環境の変化があったからこそ、改めて気づくことがたくさんあるね。でも、一緒に仕事をしていた頃から「1本でも多く良いタイヤを作っていきたい」という想いは決して変わらないし、後輩にはこの想いを伝えていくことを常に意識しているよ。

「22年前なので、今は想像できないと思いますが、髙田君は相当派手だったんですよ」と明かす権藤さん。「見た目は変わったけど、当時から話し方も考え方も人との接し方も変わらない、立派な生産リーダーになって感慨深いよ」

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そうですね。お互い環境や立場が変わっても、その想いだけは変わることはないですね。そして権藤さんから学んだ、社会人としてのマナーや安全意識などの「現場のいろは」も、後輩に教えていきます。私も権藤さんのような師匠になれるよう、頑張っていきたいです。

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お互い立場も変わってしまったけど、また一緒に仕事する日が来るといいね。


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コメント(1)

ニソニソさん

工場、工程が変わっても続く信頼関係は素晴らしいです、是非今後も大切にして頂きたいです。
お二人とも笑顔が素敵ですね。班をまとめる立場として多変でしょうが、良い雰囲気の班になっていると想像できます(^^)

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