あの日、栃木工場で起きていたこと

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栃木工場火災について

◆ 発生から鎮火まで
  2003年9月8日
   11時45分頃    精練工程バンバリー3号機付近から出火
   12時過ぎ   公設消防隊到着
   12時40分     近隣地区住民に避難指示
   12時55分     黒磯市役所(当時)内に大規模火災災害対策本部設置
   16時00分     近隣市町へ消防機関の対応を要請
   17時00分     避難指示累計1,708世帯、5,032人に拡大
   21時30分     黒磯工場(当時)にて記者会見

 9月9日
   03時05分     消防庁緊急援助隊が消火活動に合流。消防車両176台、ヘリコプター3機、
           2,534人の消防士が消火活動に従事
   07時00分     避難指示が解除

 9月10日
   10時30分     鎮火宣言

◆ 火災発生の原因
 ・バンバリーでの溶接作業時に発生した火花が、床に堆積していた発泡剤に引火

◆ 被害
 ・精練棟全焼
 ・製品タイヤ 約16万5,000本焼失
栃木工場火災当時、火元の精練工程で職長を務めていた阿部さんに、火災当日のこと、その後の対応について振り返っていただきました。
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(株)ブリヂストン
北関東生産本部 総務部 労務・CSR推進課
阿部 忠夫さん
(当時:(株)ブリヂストン 栃木工場 製造部 精練工程 職長)

精練工程の職長として火災対応に奔走、精練工程の再建後、他工場支援から戻り、工程の立ち上げ、人財育成に携わる。2015年の小平のグローバル防災センター発足とともに異動し、7年間にわたって従業員教育、研修を担当。昨年8月に定年となり、栃木工場に戻り現職。

火災の収束と工程存続のために

――火災が起きてからの経緯について教えてください。

 その日は2直で勤務予定だったので、火災発生時はまだ自宅にいました。昼過ぎに「火事が起きているからすぐに来てくれ」と電話があり、その時は「またボヤか」と受け止めていました。ただ、出社途中で車の窓から黒煙が見え、ただごとではないと感じました。
 幸い、精練工程のメンバーは全員屋外に避難していましたが、もう火を消せるような状況ではなく、全員がうなだれていました。その後、2日間はほとんど工場にいて、眠気などは一切ないまま、工場の中を動き回っていました。鎮火宣言が出た後も、焼けたゴムは燻り続け、交代で水をかけて回りました。ゴムは一度火がつくと本当に消せないんです。溶けて道路に流れ出していたゴムも片付けました。応援に来てくれた他の工場の方が、近隣住民の方々にお詫びに回ってくれましたが、厳しい声や意見も多く頂き、住民の皆様や、誠心誠意謝罪してくれた仲間たちに本当に申し訳ない気持ちでした。
 その後は、私を含む管理監督者数名が、警察に呼ばれて事情聴取が行われました。最初は参考人でしたが、途中からは被疑者扱いで刑事の口調も犯人に接するようなものになり、「こんな思いを誰にもさせてはいけない」と誓いました。
――精練工程の再建に向けてどのような苦労がありましたか。

 これからどうなるのか、メンバーみんなが不安の中で、「今はやれることをやるしかない」と励まし続けました。火災から1カ月後に、栃木の精練を再建する発表があって、救われた気持ちになりました。再建には時間がかかるため、その間、メンバーには他の工場の応援に行ってもらいましたが、中には家庭の事情などで転勤ができず、会社を辞めざるを得ない仲間もいました。
 皆さんのご協力のもと、精練の再建は予想以上に早く進みました。私も機器搬入のタイミングで栃木に復帰し、作業標準書の作成など急ピッチで取り掛かりました。本音を言えば、火災よりも火災の後の対応が大変で、納期にどう間に合わせるか悩み続け、焦るあまり、火災前と同じように生産を最優先する姿勢に戻りかけていました。そんな時に、立て続けに重篤な事故につながりかねない災害を発生させてしまったことで、私たちは我に返りました。一人ひとりが標準通りに働き、安心・安全な工程を作ると決意し、その達成に向けて改善に取り組みました。

消防署長と交わした2つの約束

――いま、当時を振り返って思うことは。

 当時、私たちはあまりに生産を優先させすぎました。火災後は、品質経営を何よりも重視するようになりましたが、それでも会社の体質が変わったと思えるまでに10年はかかったと思います。それほど意識を変え、徹底させることは難しいのです。
 火災の記憶を風化させないために、栃木工場には防災トレーニングセンター、小平にはグローバル防災センターが設置されています。会社の上層部の「また火災が起きたら栃木に次はない」「栃木の火災を二度と起こさない」という思い、そしてブリヂストンで起こった火災として、グローバルな視点で「あの日を忘れない」ことを後世に伝えなければいけないという強い思いから実現したものです。私は火災経験者としてグローバル防災センターで、グループ会社や他の企業も含め1万2000名以上の方に、研修を実施してきました。ただ、職場のほとんどが、「あの日」を知らない世代に変わる中で、やはり多くの不安は残ります。
――これからのブリヂストンを担う人たちへのメッセージをお願いします。

 生産再開時に、黒磯消防署長と2つの約束を交わしました。1つは絶対にこの火事を忘れないこと。もう1つは、従業員への教育と防災活動の徹底を続けることです。この2つの約束に、栃木工場は先頭に立って取り組んでいきます。どれだけ時間が経っても、世代が変わっても、本気の防災活動の実践と継続は、不変でなければなりません。それを忘れずに、自分たちの職場を発展させ、職場を守っていってください。

栃木工場に設置された「防災の鐘」と阿部さん。毎月8日に工場の基幹職が防災の決意を込めて鐘を鳴らしています。

栃木工場 防災トレーニングセンター

うまく初期消火できていれば大きな被害は発生しなかったはず。しかし、当時の栃木工場、そしてブリヂストン全体がさまざまな問題点を抱えていたことが、展示の内容から見えてきます。
<火災発生前のさまざまな問題点>
◆ 生産最優先の姿勢
 ・ 消火器を使いにくい意識(消火器を使うと材料の廃棄、設備の洗浄が必要)
 ・ 生産遅れ対応のため床面の定期清掃がおざなりに
 ・ 倉庫代節約のため野積みした大量のタイヤに延焼

◆ 脆弱な防火体制
 ・ 保安要員の削減(2人→1人)
 ・ 防火管理委員会、防火点検の形骸化
 ・ 一部の火災報知器の電源offが日常化(誤報が多いため)
 ・ 停電発生時に工場のデータベースへのアクセスが不可能
  (火災発生後、危険物の情報が取り出せず、消防隊の消火活動に遅れ)

◆ 従業員の意識
 ・ 「火事なんて起きるはずがない」という慢心
 ・ 発泡剤は「危険物ではない」という思い込み
 ・ 機械の前でタバコを吸うのも当たり前
 ・ 溶接作業には事前の火器使用申請なし、現場の養生も行われず

失敗から学びを得るための施設

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(株)ブリヂストン
栃木工場 製造部 安全・防災・VC改善標準室
室越 栄治さん

 防災トレーニングセンターには、私たちの失敗の理由が包み隠すことなく展示されています。同時に、3S(整理・整頓・清掃)とKY(危険予知)、RA(リスクアセスメント)、そしてルールを遵守することの大切さが明記されています。多くの学びを得て、ご自身の職場の防災に生かしていただければと思います。

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コメント(1)

記憶の伝道さん

”生産を優先させすぎました”という言葉と、”意識を変え、徹底させることは難しい”という言葉が残りました。この言葉をいつまでも過去形で語り継ぐことが出来るように、”作ることは難しいが壊すことは簡単”ということがないように、教育と防災活動に実を入れて取り組む大切さを思い起こさせて頂きました。ありがとうございます。

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