不足したタイヤの代替品確保に尽力

栃木工場火災は、工場の従業員のみならず、さまざまな人たちに多大な影響を与えました。
それぞれの現場で奮闘した皆さんの声を紹介します。
それぞれの現場で奮闘した皆さんの声を紹介します。

(株)ブリヂストン 直需販売企画部 部長
加藤 貞治 さん
(当時:(株)ブリヂストン 直需海外部に所属、タイヤ輸出業務やグローバルコーディネーションを担当)

(株)ブリヂストン 直需タイヤAG/MC事業部門 上席主幹
西尾 亜門 さん
(当時:(株)ブリヂストン 直需業務部に所属、OEメーカー販売部隊の業績管理、販売企画を担当)

(株)ブリヂストン 生産財タイヤ直需部
岡村 亜紀子 さん
(当時:(株)ブリヂストン 直需業務部に所属、OEメーカー向け消費財タイヤの新設立ち上げ業務を担当)
代替品確保に奔走した1週間
――火災の一報を知ったのはいつですか?
加藤 その日は社内打ち合わせのために名古屋に出張していました。新幹線のテロップで一報を知ったと記憶しています。自分の会社のこととは現実として受け止められないまま、まずは名古屋支店に行こうと。
西尾 オフィスで、社内の営業のメンバーから「煙が出ているらしい」と話がありました。あの時期は他にも小火があって、「またか」と。その後、テレビで煙が上がる様を見て、「そんなレベルではない」と認識しました。
岡村 昼過ぎに、懇意にしているお客様から「あなたの会社の工場大変よ」と電話がありました。部内のテレビをつけたらものすごい映像で、みんな釘付けになりました。
加藤 その日は社内打ち合わせのために名古屋に出張していました。新幹線のテロップで一報を知ったと記憶しています。自分の会社のこととは現実として受け止められないまま、まずは名古屋支店に行こうと。
西尾 オフィスで、社内の営業のメンバーから「煙が出ているらしい」と話がありました。あの時期は他にも小火があって、「またか」と。その後、テレビで煙が上がる様を見て、「そんなレベルではない」と認識しました。
岡村 昼過ぎに、懇意にしているお客様から「あなたの会社の工場大変よ」と電話がありました。部内のテレビをつけたらものすごい映像で、みんな釘付けになりました。
――その後、どのように対応されましたか?
加藤 名古屋支店にたどり着いたらもうバタバタで緊急体制になったことを察しました。本来の出張の目的はあきらめ、周囲の会話に耳を傾けて、自分の業務との関わりを理解しようと心がけました。お客様である大手自動車メーカー(以下、OEメーカー)様に納めている栃木の製品の代替品を急いで探したところオーストラリアで生産していることがわかり、支店の席を一つ借りて、現地との調整に入りました。夜0時半に目処がついてホテルに入ったのですが、そのお客様を担当する営業・技術サービスメンバーは全員が徹夜。本来出張で会うはずの人は、お客様先でずっと対応を続けている状況でした。夜9時頃に営業のリーダーから「みんなの夕食を買ってきてほしい」と1万円札を渡され、コンビニに走ったのを覚えています。翌日は支店に顔を出した後、東京に戻って調整を続けました。
西尾 栃木工場の生産が止まることを確信して、すぐに生産量の調整にかかりました。栃木から何を納入しているか、在庫はどれくらいあるか、どうお客さまと連携するか。本社の生産部門と一緒に、リアルタイムで状況を追っていきました。私のミッションは、営業の皆さんに部門の状況、栃木の状況などを正しく伝えること。栃木のOEメーカー納入の製品リストと代替品候補のリストをもとに、営業、生産と調整を続けました。日付の変わる0時に、お客様先にいた営業から「朝5時までに代替品のスペックを連絡せよ」とのファックスが届き、なんとか明け方に暫定版を提出しました。その日は徹夜して、家に帰ったのは翌日の夜でした。
岡村 私は新設立ち上げタイヤの担当でしたが、実質的なアクションは火災の翌日から始まりました。代替タイヤの調整を進めましたが、当時の連絡は電話やファックスが中心。本社直需に唯一あった電話会議システムがフル稼働していたのを覚えています。毎日23時から営業や技術サ-ビス担当、量産設計の関係者が集まり、2〜3時間の会議をしていました。代替タイヤをどこの工場で生産できるか、また、OEメーカーの納入先に優先順位をつける作業も並行して進めました。その後タクシーで帰り、翌朝に出社するタイムスケジュ-ルを1週間くらい続けましたね。
加藤 名古屋支店にたどり着いたらもうバタバタで緊急体制になったことを察しました。本来の出張の目的はあきらめ、周囲の会話に耳を傾けて、自分の業務との関わりを理解しようと心がけました。お客様である大手自動車メーカー(以下、OEメーカー)様に納めている栃木の製品の代替品を急いで探したところオーストラリアで生産していることがわかり、支店の席を一つ借りて、現地との調整に入りました。夜0時半に目処がついてホテルに入ったのですが、そのお客様を担当する営業・技術サービスメンバーは全員が徹夜。本来出張で会うはずの人は、お客様先でずっと対応を続けている状況でした。夜9時頃に営業のリーダーから「みんなの夕食を買ってきてほしい」と1万円札を渡され、コンビニに走ったのを覚えています。翌日は支店に顔を出した後、東京に戻って調整を続けました。
西尾 栃木工場の生産が止まることを確信して、すぐに生産量の調整にかかりました。栃木から何を納入しているか、在庫はどれくらいあるか、どうお客さまと連携するか。本社の生産部門と一緒に、リアルタイムで状況を追っていきました。私のミッションは、営業の皆さんに部門の状況、栃木の状況などを正しく伝えること。栃木のOEメーカー納入の製品リストと代替品候補のリストをもとに、営業、生産と調整を続けました。日付の変わる0時に、お客様先にいた営業から「朝5時までに代替品のスペックを連絡せよ」とのファックスが届き、なんとか明け方に暫定版を提出しました。その日は徹夜して、家に帰ったのは翌日の夜でした。
岡村 私は新設立ち上げタイヤの担当でしたが、実質的なアクションは火災の翌日から始まりました。代替タイヤの調整を進めましたが、当時の連絡は電話やファックスが中心。本社直需に唯一あった電話会議システムがフル稼働していたのを覚えています。毎日23時から営業や技術サ-ビス担当、量産設計の関係者が集まり、2〜3時間の会議をしていました。代替タイヤをどこの工場で生産できるか、また、OEメーカーの納入先に優先順位をつける作業も並行して進めました。その後タクシーで帰り、翌朝に出社するタイムスケジュ-ルを1週間くらい続けましたね。
――職場の雰囲気はどのようなものでしたか。
西尾 個人的には、「ブリヂストンは窮地に強いな」と思いました。ピリピリ感はあるものの、決して後ろ向きでは無い、一体感を感じましたね。
加藤 そうですね。火事については瞬発力、結束力、団結力で乗り越えたと感じます。ただ生産再開の目処が立たないなか、警察や消防から連絡が来るたびに予定はリスケになりました。当初は9月12日に生産再開が決まっていましたが、消防のストップが入り、結局、そこから更に一週間後の9月19日に再開しました。その後も、原料のゴムをソーシングしながらの綱渡りが続きました。
岡村 文句を言っても仕方がありませんし、目の前の問題を乗り越えることに懸命で、連日、深夜まで対応に追われていた不満などもありませんでした。特に営業の皆さんは、お客様先の最前線で頑張っているわけで、なんとか彼らの奮闘に応えないといけない一心でした。
西尾 個人的には、「ブリヂストンは窮地に強いな」と思いました。ピリピリ感はあるものの、決して後ろ向きでは無い、一体感を感じましたね。
加藤 そうですね。火事については瞬発力、結束力、団結力で乗り越えたと感じます。ただ生産再開の目処が立たないなか、警察や消防から連絡が来るたびに予定はリスケになりました。当初は9月12日に生産再開が決まっていましたが、消防のストップが入り、結局、そこから更に一週間後の9月19日に再開しました。その後も、原料のゴムをソーシングしながらの綱渡りが続きました。
岡村 文句を言っても仕方がありませんし、目の前の問題を乗り越えることに懸命で、連日、深夜まで対応に追われていた不満などもありませんでした。特に営業の皆さんは、お客様先の最前線で頑張っているわけで、なんとか彼らの奮闘に応えないといけない一心でした。
苦労して獲得したビジネスを手放す辛さ
西尾 それまで、OEメーカーをお客様として対応にあたっている直需の希望は社内で比較的、優先的な判断を頂いていましたが、火災でゴム練りの能力が落ち、全てを最優先にすることは難しいという経営判断が下されました。私にとっては、会社や社会全体の最適について考え直すターニングポイントになりました。
加藤 当時、OEメーカーへの供給は1社100%のビジネスも多くある時代でしたが、火災直後は不足した在庫の分の補填を他社にお願いせざるを得なくなりました。特に辛かったのは営業の皆さんだったはずです。苦労して獲得したビジネスを、お客様に頭を下げて自ら手放すわけですから。また、お客様が競合メーカーに「作ってください」とお願いしている状況を目の前で見るのは、精神的に相当こたえたと思います。
岡村 リスク分散の観点から複数社によるシェア割が増えたのはこの火災を起点にしていると感じます。
加藤 当時、OEメーカーへの供給は1社100%のビジネスも多くある時代でしたが、火災直後は不足した在庫の分の補填を他社にお願いせざるを得なくなりました。特に辛かったのは営業の皆さんだったはずです。苦労して獲得したビジネスを、お客様に頭を下げて自ら手放すわけですから。また、お客様が競合メーカーに「作ってください」とお願いしている状況を目の前で見るのは、精神的に相当こたえたと思います。
岡村 リスク分散の観点から複数社によるシェア割が増えたのはこの火災を起点にしていると感じます。
安全のために声をあげる職場風土を
――現在のブリヂストンの防災意識をどう感じていますか?
加藤 やはり研修などを通じて、半強制的にでも、こうしたことを伝えていくのは必要だと思います。過去の教訓を、いかに自分ごとに感じられるレベルまで落とし込むか。家が火事になった時にどう対応すればいいか、あるいは日頃からどんな防災対策や点検をしているかといった、自分の生活に紐付けて考えることで、防災意識ももっと地に足の付いたものになるのではないでしょうか。
岡村 そうですね。火災が起こった当日を防災の日としていることは、当時を振り返る大切な機会になると思っていますので、特に火災を経験していない方にも関心を持っていただけるといいですね。
西尾 テレワークが普及し、職場にメンバーが常にいるわけではない状況へと変わっています。有事の際に、人員が揃わなくてもフレキシブルに対応できる仕組み作りなどが課題だと思います。
加藤 やはり研修などを通じて、半強制的にでも、こうしたことを伝えていくのは必要だと思います。過去の教訓を、いかに自分ごとに感じられるレベルまで落とし込むか。家が火事になった時にどう対応すればいいか、あるいは日頃からどんな防災対策や点検をしているかといった、自分の生活に紐付けて考えることで、防災意識ももっと地に足の付いたものになるのではないでしょうか。
岡村 そうですね。火災が起こった当日を防災の日としていることは、当時を振り返る大切な機会になると思っていますので、特に火災を経験していない方にも関心を持っていただけるといいですね。
西尾 テレワークが普及し、職場にメンバーが常にいるわけではない状況へと変わっています。有事の際に、人員が揃わなくてもフレキシブルに対応できる仕組み作りなどが課題だと思います。
――当時の経験を踏まえて従業員の皆さんに伝えたいことは何ですか?
加藤 火災が収束した後、栃木工場に向かうタクシーで運転手さんに「火事の影響で、工場を訪問するお客様が激減して私の仕事も減りました」と聞きました。地域の経済にまで大きなインパクトがあったことを悟り、ショックを受けました。火災を完全にゼロにすることはできませんが、自分から語れることは今後も語っていきたいと思っています。事故を二度と繰り返さないこと。安全はすべてに優先すること。言いづらいことも勇気を持って周囲に伝えること。そんな大切さを理解していただければ。
西尾 ブリヂストンは、栃木工場火災を経験したことで、防災意識の高い企業になったと思います。もちろん若い方に同じような経験はしてほしくはありませんが、火災が起きるとどうなるかは常に頭の隅に置いておいて欲しいです。
岡村 本当に多くの方が苦労されました。問題が起こりそうな時、起こった時は、すぐに周囲に助けを求め、周囲もすぐ声をかけられる職場風土が大切だと思います。
加藤 火災が収束した後、栃木工場に向かうタクシーで運転手さんに「火事の影響で、工場を訪問するお客様が激減して私の仕事も減りました」と聞きました。地域の経済にまで大きなインパクトがあったことを悟り、ショックを受けました。火災を完全にゼロにすることはできませんが、自分から語れることは今後も語っていきたいと思っています。事故を二度と繰り返さないこと。安全はすべてに優先すること。言いづらいことも勇気を持って周囲に伝えること。そんな大切さを理解していただければ。
西尾 ブリヂストンは、栃木工場火災を経験したことで、防災意識の高い企業になったと思います。もちろん若い方に同じような経験はしてほしくはありませんが、火災が起きるとどうなるかは常に頭の隅に置いておいて欲しいです。
岡村 本当に多くの方が苦労されました。問題が起こりそうな時、起こった時は、すぐに周囲に助けを求め、周囲もすぐ声をかけられる職場風土が大切だと思います。
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