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火災はすべてを奪う。だから、私は守り続ける

栃木工場火災が起きてから22年が経ちました。この火災を経験していない従業員が増えるなか、火災によって失うものの大きさや忘れてはいけない教訓を次の世代に伝えるために、当時の状況を知る彦根工場の久藤さんにお話を伺いました。
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(株)ブリヂストン
彦根工場 製造部 製造第1課長

久藤 俊介さん

火災発生当時、栃木工場の技能員として精練工程におけるバンバリー3号機のオペレーターを担当。火災後は中国・無錫工場の立ち上げに携わった後、栃木工場の精練工程に復帰。その後は那須工場での勤務を経て、2018年に彦根工場 製造部へ異動。2019年より現職。

瞬く間に広がる炎 奪われたそれまでの日常

栃木工場火災が起きた2003年の9月8日、私は2直明けの休日を過ごしていました。たまたまお昼頃に職場の仲間と工場の前を通りかかったところ、立ち上る黒煙が目に入り、急いで工場の敷地内に入りました。火元の精練建屋まで走り消火活動に加わりましたが、瞬く間に火は広がり、フォークリフト用のガスボンベが火災の熱で次々と破裂して、手がつけられない状態に。「工場での仕事がなくなってしまう…」そんな思いが脳裏をよぎりました。

バンバリーのオペレーター担当だった私は、鎮火後に警察から事情聴取を受けることに。「なぜ火災が起きたと思いますか?」「あの日に何が起きていたと思いますか?」、同じような質問が何十回となく繰り返し続きました。毎日数時間、約2週間にわたって聴取が行われましたが、本当に長く、そして辛い時間でした。

その後は中国の無錫工場で約1年間、バンバリーの操作訓練や安全教育に携わりました。当時の中国の安全意識は十分ではなく、あの火災を経験した人間として、あんな辛い思いをさせたくないという気持ちで指導を続けました。

火災から約1年後、栃木工場の精練工程が立ち上がるタイミングで帰国しました。仲間たちが奮闘してくれたおかげで、当初の計画よりかなり前倒しで立ち上がり、新しい精練棟やバンバリーを見たときは、また栃木工場で仕事ができるうれしさもありましたが、同時に、火災が起きる前の慣れ親しんだ職場の光景が頭をよぎり、悲しい気持ちもあったのを覚えています。

久藤さん

火災を「風化」させるわけにはいかない

火災の原因はタイヤの発泡剤に溶接の火花が引火したこと。もし、私や仲間たちがその発泡剤を危険物だと知っていたら、火災が起きていない、違った未来があったかもしれない。そんな悔しさから勉強を始めて、危険物取扱者の乙種を1類から6類まで全て取得しました。資格を得たことは自信にはなりましたが、「なぜもっと早く取らなかったのだろう」という虚しい気持ちは今も残り続けています。

現在、私が働く彦根工場では2,000日以上の無災害を継続しています。しかし、それは当たり前に成し遂げたことではなく、日々の積み重ねの結果です。特に精練工程は火災のリスクが高い現場です。初期消火訓練の徹底やルールの順守を常に意識しています。

あの火災は私の人生を変えました。また、仲間たちを束ねる今の立場になったことで、当時の会社や上司たちが若かった私たちを必死で守ろうとしてくれたことも分かってきました。自分自身も、現場の仲間を守れるリーダーでありたいと強く思います。「安全はすべてに優先する」。これ以上に大事なことはありません。

火災は全てを奪います。働く場所も、大切な仲間との日常も。10年や20年であの日の火災を「風化」させてはいけないのです 。3S・点検の徹底、標準・ルールの順守、安全第一の姿勢を守り続けましょう。二度と火災を起こさないために。

久藤さんの机に掲げられている「あの日を忘れない」の標語。「この標語が自分の立ち返るべき原点を示してくれます」


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コメント(3)

もくどなるどさん

私は火災当時学生でニュースで見かけた程度でした。
ブリヂストンに入社してから当時の映像や実際に作業した方の話を聞いて、
火災の恐ろしさを学ばせてもらいました。
これからも0災でいく気持ちで日々の業務を行い、もし火災が発生してしまった場合は
訓練通りの動きができるよう尽力します。

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安全、防災に終わり無し!さん

久藤さんの語る火災の記憶と教訓は、単なる過去の出来事ではなく、企業の安全文化の礎として刻まれるべきものです。火災がもたらした喪失の痛みと、それを乗り越えた経験が、彼の安全への強い使命感とリーダーシップの源泉となっていることが伝わってきます。

特に印象的なのは、「火災はすべてを奪う」という言葉に込められた重みです。

物理的な資産だけでなく、仲間との日常や安心感までもが一瞬で失われる恐ろしさを、久藤さんは身をもって体験しました。
その経験が、「安全はすべてに優先する」という普遍的な真理を再認識させると同時に、後進への教育と現場の安全管理に対する不断の努力へとつながっていると感じました。

また、火災の原因を知り、危険物取扱者の資格を全て取得するという自己研鑽の姿勢は、単なる責任感を超えたプロフェッショナリズムの表れです。
過去の過ちや後悔を糧に、未来のリスクを徹底的に排除しようとするその姿勢を模範行動として自身の心に刻み、行動に移したいと思います。

「風化させてはいけない」という警鐘は、時間の経過とともに薄れがちな安全意識を常に喚起し続ける重要なメッセージです。

火災の記憶を共有し、具体的な行動→3S・点検の徹底、標準・ルールの遵守、安全第一の姿勢に落とし込むことが、未来の被害を未然に防ぐ鍵であることを改めて示していると感じました。

このインタビューは、単なる過去の回顧録ではなく、安全文化の継承と強化のための貴重な教材です。
久藤さんの言葉を胸に刻み、私たちもまた「守り続ける」覚悟を新たにしていきます!

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ふーはさん

当事者の生の声、本当に身にしみます。

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