あの恐怖を風化させない。それが自分たちの責任
栃木工場火災が起きてから23年が経ちました。この火災を経験していない従業員が増えるなか、火災によって失うものの大きさや忘れてはいけない教訓を次の世代に伝えるために、当時の状況を知る栃木工場の岩谷さんにお話を伺いました。
(株)ブリヂストン
北関東生産部門 総務部 総務課 栃木保安係 主任
岩谷 良治さん
火災発生当時、栃木工場の技能員として加硫工程を担当。火災発生直後は旧黒磯市の消防団の一員として鎮火までの消火活動に従事。その後は加硫工程の主任や労働組合支部委員長などを経て、現職。
感じたことのない命の危険と強い不安 炎に立ち向かった3日間
火災当日、私は2直での勤務予定でしたが、工場祭の実行委員だったため、午前中は打ち合わせのために工場へ来ていました。打ち合わせが終わった後、火災発生現場である精練棟の脇を通って、夕方からの勤務に備えていったん帰宅。その時点で既に建屋内では出火をしていたのですが、外はいつも通りの風景で、まったく気づきませんでした。ところが帰宅後すぐ、当時所属していた消防団の仲間から「お前の工場が燃えているぞ!」と電話がかかってきたのです。直前まで工場で過ごしていたので、「何かの冗談だろう?」と耳を疑いました。
すぐに消防団の詰所に行き、そこからポンプ車で団員と一緒に工場へ向かいました。途中の道から視界に入ったのは、見たこともないような巨大な煙。さっきまでいた場所が燃えている。「きっとうちの工場じゃない」と、車中では祈るような気持ちでした。また当時、私は結婚したばかりで、子どもも生まれてくる予定だったので、「これからの自分の仕事や家族の生活はどうなってしまうのか…」と、それまでに経験したことのない強い不安にも襲われました。
現場に着くと火の手はすさまじく、消火活動をしようにも、工場内の水源は全て先に到着していた消防車が使用している状態。私たちは近隣の河川から何台ものポンプ車をホースでつないで、やっとの思いで放水を開始しました。しかし、いくら水をかけても火の勢いは衰えるどころか増すばかり。周囲を見れば、外に置いてあったフォークリフト用のガスボンベが火災の熱で破裂し、爆発音とともにすごいスピードで目の前や横を飛んでいくのです。「あんなものに当たったら死んでしまう…」と、日常では考えられない恐怖を感じながら消火を続けました。程なく、精練棟近くのカーボンタンクが粉塵爆発を起こす危険性が増し、消防からの指示で一時避難をすることに。その後、爆発の恐れが無くなったという判断が下り、再度消火活動に加わりました。
結局、私たち消防団は鎮火までずっと火災現場にいました。交代で道路に寝そべって仮眠を取りながら、延焼拡大を防ぐために放水を継続。火災発生から3日目に、燃えるものが無くなり鎮火となりましたが、朝日を背にした焼け焦げた精練棟の姿を忘れられません。「戦場にでも来たのではないか」と思わせるあの光景は、今でも思い出すと辛くなります。
当時、私が所属していた消防団の団員は、私以外は全員が自営業、もしくは他社にお勤めの方でした。それぞれの職場から「いい加減に会社に来い!」と電話がかかってきても、3日間、誰一人帰ろうとはしません。ある仲間が「こんな大変なことが起きているのに、会社になんて行けるわけがないじゃないですか!」と上司からの電話を切った姿を見たときは、本当に頭が下がる思いでした。また、延焼の恐れがあった近隣の方々から「ご苦労様です」と声をかけられた時は、自分がブリヂストンの人間だとは言い出せず、申し訳無い気持ちでいっぱいでした。
すぐに消防団の詰所に行き、そこからポンプ車で団員と一緒に工場へ向かいました。途中の道から視界に入ったのは、見たこともないような巨大な煙。さっきまでいた場所が燃えている。「きっとうちの工場じゃない」と、車中では祈るような気持ちでした。また当時、私は結婚したばかりで、子どもも生まれてくる予定だったので、「これからの自分の仕事や家族の生活はどうなってしまうのか…」と、それまでに経験したことのない強い不安にも襲われました。
現場に着くと火の手はすさまじく、消火活動をしようにも、工場内の水源は全て先に到着していた消防車が使用している状態。私たちは近隣の河川から何台ものポンプ車をホースでつないで、やっとの思いで放水を開始しました。しかし、いくら水をかけても火の勢いは衰えるどころか増すばかり。周囲を見れば、外に置いてあったフォークリフト用のガスボンベが火災の熱で破裂し、爆発音とともにすごいスピードで目の前や横を飛んでいくのです。「あんなものに当たったら死んでしまう…」と、日常では考えられない恐怖を感じながら消火を続けました。程なく、精練棟近くのカーボンタンクが粉塵爆発を起こす危険性が増し、消防からの指示で一時避難をすることに。その後、爆発の恐れが無くなったという判断が下り、再度消火活動に加わりました。
結局、私たち消防団は鎮火までずっと火災現場にいました。交代で道路に寝そべって仮眠を取りながら、延焼拡大を防ぐために放水を継続。火災発生から3日目に、燃えるものが無くなり鎮火となりましたが、朝日を背にした焼け焦げた精練棟の姿を忘れられません。「戦場にでも来たのではないか」と思わせるあの光景は、今でも思い出すと辛くなります。
当時、私が所属していた消防団の団員は、私以外は全員が自営業、もしくは他社にお勤めの方でした。それぞれの職場から「いい加減に会社に来い!」と電話がかかってきても、3日間、誰一人帰ろうとはしません。ある仲間が「こんな大変なことが起きているのに、会社になんて行けるわけがないじゃないですか!」と上司からの電話を切った姿を見たときは、本当に頭が下がる思いでした。また、延焼の恐れがあった近隣の方々から「ご苦労様です」と声をかけられた時は、自分がブリヂストンの人間だとは言い出せず、申し訳無い気持ちでいっぱいでした。
火災を経験した者として、伝え続けていく
火災後、職場では防災体制の見直しや、ルールの整備が急ピッチで進められました。火災が起こる前は火災報知器が鳴っても作業の手を止めないこともありましたが、今では報知器が鳴れば、工場の全員が近くにある消火器を抱えて我先にと現場へ駆けつけます。「ルールを守らなければ、またあのような大火災が起こるかもしれない」。特に火災を目の当たりにした仲間たちには、そのような強い気持ちがあるはずです。一方で、栃木工場でもブリヂストン全体でも、火災を知らない従業員が増えています。大切なのは「あの日を忘れない」ことです。
私は誰にも、あのような不安や恐怖を経験させたくありません。これからも、あの火災を現場で体験した者として、火災の恐ろしさ、そして「安全はすべてに優先する」ことを伝え続けていきます。
私は誰にも、あのような不安や恐怖を経験させたくありません。これからも、あの火災を現場で体験した者として、火災の恐ろしさ、そして「安全はすべてに優先する」ことを伝え続けていきます。
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