「あれ?」に気づき、声にする。防災はその一声から始まる
栃木工場火災が起きてから23年が経ちました。この火災を経験していない従業員が増えるなか、火災によって失うものの大きさや忘れてはいけない教訓を次の世代に伝えるために、当時の状況を知る那須工場の矢村さんにお話を伺いました。
(株)ブリヂストン
北関東生産本部 総務部 総務課
矢村 まゆみさん
火災発生当時、総務課として栃木工場で、工場長秘書や工場見学の受け入れなどを担当。火災発生直後は現場の撮影や炊き出しの配布といった対応に奔走した。2025年10月より那須工場にて勤務。
とにかく自分にできることをやるしかない
火災が起きたあの日、午後から工場見学の受け入れが予定されており、総務課の私は他の受け入れメンバーとその調整をしていました。正午前に火災警報が鳴った時は「誤報かな」と思ったのですが、次第に周囲が騒がしくなってきて、外に出てみると、精練棟の方から黒い煙がすごい勢いで上がっているのを見て、「これは小火ではない」と。
見学予定のお客様にはお帰りいただき、そこからはとにかく夜まで駆け回りました。まず必要になったのは工場の図面です。工場のどこに何があるのかを、公設消防の方々に把握していただく目的でコピーを取ろうとしたのですが、工場のコピー機は停電で使えません。やむなく最寄りのコンビニにコピーを取りに行ったものの、帰り道は他の車であふれかえっていて、なかなか工場へたどり着けませんでした。やっとの思いで戻った後は、消防の方からの「あれはないか?これはないか?」という要請のたびに、消防本部のテントと事務所の間を走って往復しました。
同じ頃、工場の裏手では、野積みされていた製品タイヤを火から遠ざけるために、フォークリフトによる運搬作業が行われていました。誰の指示だったかも覚えていませんが、記録としてその模様を残すためにカメラを抱えて現場に行きました。身の安全のために、距離をとって撮影を続けましたが、現場の緊迫感が強く記憶に残っています。
また、消火活動に参加していた方々のために炊き出しも行いました。同僚と一緒に皆さんに「ご苦労様です、この度は申し訳ありません」と頭を下げながら、おにぎりを配って回ったのですが、「自分たちは火を消すのが仕事だから大丈夫。それよりも大変なのはこれからだよ。しっかりしなきゃだめだよ」と、逆に励まされたことを覚えています。
その日は、夜まで「何かやれることをやらないと」という使命感でとにかく動き回っていましたが、夜の9時を過ぎた頃に上司から、「あなた達にできることはもうありません!帰ってください!」と言われ帰宅しました。今振り返ると、強い言葉を使ってでも、部下を休ませたかった上司の思いやりだと思います。翌日以降もしばらくは休むことなく、自分たちにできることをそれぞれが手分けして対応していました。その後、どうやって日常に戻っていったのかもよく覚えていません。
見学予定のお客様にはお帰りいただき、そこからはとにかく夜まで駆け回りました。まず必要になったのは工場の図面です。工場のどこに何があるのかを、公設消防の方々に把握していただく目的でコピーを取ろうとしたのですが、工場のコピー機は停電で使えません。やむなく最寄りのコンビニにコピーを取りに行ったものの、帰り道は他の車であふれかえっていて、なかなか工場へたどり着けませんでした。やっとの思いで戻った後は、消防の方からの「あれはないか?これはないか?」という要請のたびに、消防本部のテントと事務所の間を走って往復しました。
同じ頃、工場の裏手では、野積みされていた製品タイヤを火から遠ざけるために、フォークリフトによる運搬作業が行われていました。誰の指示だったかも覚えていませんが、記録としてその模様を残すためにカメラを抱えて現場に行きました。身の安全のために、距離をとって撮影を続けましたが、現場の緊迫感が強く記憶に残っています。
また、消火活動に参加していた方々のために炊き出しも行いました。同僚と一緒に皆さんに「ご苦労様です、この度は申し訳ありません」と頭を下げながら、おにぎりを配って回ったのですが、「自分たちは火を消すのが仕事だから大丈夫。それよりも大変なのはこれからだよ。しっかりしなきゃだめだよ」と、逆に励まされたことを覚えています。
その日は、夜まで「何かやれることをやらないと」という使命感でとにかく動き回っていましたが、夜の9時を過ぎた頃に上司から、「あなた達にできることはもうありません!帰ってください!」と言われ帰宅しました。今振り返ると、強い言葉を使ってでも、部下を休ませたかった上司の思いやりだと思います。翌日以降もしばらくは休むことなく、自分たちにできることをそれぞれが手分けして対応していました。その後、どうやって日常に戻っていったのかもよく覚えていません。
さまざまな方に支えられて今日がある
火災を振り返って強く思うのは、「あんなことが身の回りで現実に起こるんだ」ということです。ゴムは一度燃えるとなかなか消えないことも、工場で使われていた薬品がどのような危険をもたらすのかも、当時の私たちはよく知りませんでした。
火災後の対応が落ち着いた後、工場見学も再開されましたが、参加者の中には悪気無く、「火災が起きた工場だよね?」と聞いてくる方もいました。これは何年間もずっと続いたと思います。自分たちの職場が、「火災が起きた工場」という一言で置き換えられてしまう。これは本当に辛く、悲しいことです。
一方で、支えてくださった方々のことも忘れられません。火災後、地域のお取引先様が集まる会合に同席した際、さぞ厳しいお叱りを受けるのかと思いきや、多くの方から「心配することないよ」「これからだよ」と励ましていただきました。また、工場に隣接する福祉施設からは、パンの差し入れが何日も届きました。多くの方に助けていただいて、今日の栃木工場、そしてブリヂストンがあるのだと思います。
あの経験から得た教訓は、3Sをみんなで徹底すること、そして「今日は何かいつもと違うな?」といった小さな違和感を見逃さないことの大切さです。普段からアンテナを高く張り、周囲に目を配る。「あれ?」と思ったら立ち止まり、周囲の仲間に伝える。その一つひとつが、火災を未然に防ぐ行動につながります。防災は、決して他人事ではないのですから。
火災後の対応が落ち着いた後、工場見学も再開されましたが、参加者の中には悪気無く、「火災が起きた工場だよね?」と聞いてくる方もいました。これは何年間もずっと続いたと思います。自分たちの職場が、「火災が起きた工場」という一言で置き換えられてしまう。これは本当に辛く、悲しいことです。
一方で、支えてくださった方々のことも忘れられません。火災後、地域のお取引先様が集まる会合に同席した際、さぞ厳しいお叱りを受けるのかと思いきや、多くの方から「心配することないよ」「これからだよ」と励ましていただきました。また、工場に隣接する福祉施設からは、パンの差し入れが何日も届きました。多くの方に助けていただいて、今日の栃木工場、そしてブリヂストンがあるのだと思います。
あの経験から得た教訓は、3Sをみんなで徹底すること、そして「今日は何かいつもと違うな?」といった小さな違和感を見逃さないことの大切さです。普段からアンテナを高く張り、周囲に目を配る。「あれ?」と思ったら立ち止まり、周囲の仲間に伝える。その一つひとつが、火災を未然に防ぐ行動につながります。防災は、決して他人事ではないのですから。
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